カンカン鳴る音

踏切の音が聞こえる日常、雑記。

かなしみ

家に帰ってくるのがこわかった。

寝室に入ったら涙がでた。

2ヶ月前から、

こんなはずじゃなかったことだらけで

自分が自分を殺しにくる

絶望的なのは

これがずっと続くのかということで

ずっとて

つらいわ

 

わたしが望んだもの

手に入れたはずのもの

いったい

どこにいってしまったんだろう

これからを考える話

ゴールデンウィークは暦通りにはたらいた。短い間隔で訪れた3連休の2連続は、それぞれほとんど予定通りのスケジュールをこなし、これまで積んでいたやりたかったことを片付けたりただひたさら休んだりしていたので、比較的充実していたといえるだろう。

ひたすら休みすぎて、少し時間が狂ってしまった。これは休みによくあることだし、休みが明けたらまた戻るだろうからきっと大丈夫。いや、でも本当に戻るのだろうか?

実を言うと先月の後半くらいからだろうか、じわじわと迫り来る何かにずっと怯えている。原因はわかっていて、ひたすらに畏怖を抱く相手にであってしまい、私の感覚という感覚が彼女への劣等感に苛まれているのだ。こう書くとなんてくだらなくてちいさな人間なのだろうと思うが、しかたない、いま、これを吐き出せないことが最大のストレスなのである。

私はよく気が散る。多分周りをよく見ているだとか、気が効くだとか、気がつくといった私の概ね"良いところ"は、つまりは気が散っているだけなのだと思っている。すぐ気が散るからこそ、自分の芯を持っていないと生きていけないし、根拠のないようにみえる自信を、直感でもって信じていないと、ありとあらゆるものに影響されて、立っていることすらできないのだ。そうやっていままで生きてきたのに、たまに土台が揺らぐとこうも不安定になるものかと、頭を抱えてしまう。

加えて環境の変化や仕事の責任の変化など、またストレスの種が撒かれて、芽を出し始めていることにも気がついている。ここで声を大にして伝えたいのは、ストレスがかかることが嫌なわけではない。むしろストレスのない生活の方が私は向いていないと自覚している。ただ、ストレスがかかるのは事実であるし、それに伴う気持ちの変化や体調の変化が起きてしまう可能性もとても高い。でもそれは、誰のせいでもないし、生きていく上で、成長していく上で、必要不可欠なことであるのだから、あるがままに受け止めるのがいちばんの正解なのだと思う。

ストレスの原因を強引に取り除くのは、簡単だ。でもそうしないで、自らにフィルターをかけて、コントロールしようとして、なんとかこうやって生きているということを、どうか後ろ向きに捉えないでほしい。私は私を生き抜いてやりたい。ただ、それだけなのだ。

つねづね、どうして私は一人で生きていく道を選ばないんだろうと時々考える。明確な理由は分からないが、あえて強引に言うならば、私は自分自身の能力を最大限に引き上げることで、大切な誰かとその周りの人をしあわせにしたいんだろうと思う。それが叶う場所を、ひたすら探し続けている。

episode 107

ネガティブなモチベーションの人が嫌いだ。ダブスタだと言われようが関係ない。
社内SNSを見ながら広げられる意見にまた絶望する。社会を見下している姿勢。自分たちのサービスに自信を持つのは結構なことだが、それと、いま社会に求められて成功しているサービスを稚拙だと馬鹿にするのは違う話なのではないか。
結局成功していない。どれだけ"優秀"な人が増えても給料や賞与を正しく支払うこともできていないのに、なにが一体優秀だというのだろう? 皮肉を言って足を引っ張り合う社員たち。過去の失敗をいつまでも語り継いで進まないのは誰ですか? いつまでも思い通りにいかないのは、誰が悪いんですか? 現実を見ることができずに何かに期待し続けて、その駒として使うだけの"優秀"な若者を失望させているのは、自分たちではないのですか?







なんかほんとうにただただ失望する。夢を見れない。楽しくない。楽しくない会社をどうにかしようなんて思えない。自分に自信があるなら人を馬鹿にする権利があるんですか。そんな人と誰が働きたいと思うんですか。そんな人が誰をマネジメントできるというんですか。残念だ。とってもとっても、残念だ。

episode 106

あまりこういうことを言うのは良いことではないけども、業務内容の特質で月中は割と余裕がある。今月の初めはただでさえ忙しい月末〜月初に、季節要素で負荷のかかる仕事が重なったのでそれはもう忙しかった、気がする。というのも割と切り替えが苦手ではないらしく、土日を挟むと比較的ケロッとしてしまうのである。そういう方ではあるのだけど、やはりまぁ今週は中弛みしている感じが否めず、前から予定していたところではあったのだが本日は有給休暇を取得した。この時期に限界がくることを予測して取得した一ヶ月前の私の期待ほど限界はきていなかったけれど、結果的に良い1日だったのではないかと思っている。
特に何もしていない。一人で起きて一人で食事をとり、いつもより念入りに掃除機をかけた。そのうちになんとなく「、あ、癒されてる」と思う瞬間があって、本当に何もしない休みの重要性を改めて感じたところである。
なんだか優しくなれそう。明日からまた頑張ろう。

episode 105

さすがに1ヶ月以上書かなかったのはこの日記では初めてのことな気がする。なにがあったか振り返ってみても、ひたすら仕事をして、自分の価値を高めて、その分面倒なことも増えて、人への期待と憎しみと、人からの期待と余計なお世話に、たくさん心を乱した時期だったように思う。そんなこんなしているうちにもう年の瀬になり。毎年この頃になると来年の抱負を考え出してしまう癖があると思っていたが、今年は不思議とそんな気持ちになっていない。まだまだ今年にやりたいことがあるし、来年のことを考えるのは年末の3日程度で良いかなと極々自然に思っている。自分としてはとても不思議な感覚だ。それほどまでに2015年は走りぬけて、充実した一年だったのかと思う。たしかに、いろんな部分が生まれ変わったような一年だった。うろ覚えだが2年経つと身体の細胞がすべて入れ替わると聞いたことがある。こういうことかと少し怖いような、誇らしいような気がしている。なんだかんだで一年を振り返りそうになっているのでこのあたりでやめておく。あと二週間と少し。まだまだいけるところまで、いきたい。

episode 104

最近洗濯が好きになった。実はこれまで柔軟剤を使ったことがなく、というのも柔軟剤入り洗剤というものを使っていたからなのだけど、「柔軟剤入り洗剤でも柔軟剤はいれるものだよ」と教えられて恥ずかしながら初めて自分の洗濯で柔軟剤を使ってみたのである。するとどうだろう、洗濯機から出した瞬間にほのかにふわふわするではないか。あまりのふわふわ具合に「ふわふわだ〜!」などと叫んでしまったが、考えてみればCMと同じだ。そしてなにより香りが良い。こんなこともしてこなかったなんて、これまで外を歩いていたのが恥ずかしくなってくる。
ということで空前の洗濯物ブームがきている。いま持っている洋服の1/5もあやかることができていない。自宅に帰るたびに洗濯機を回しては、ほのかに香る柔軟剤の香りにうっとりしている。香りを確かめずにネーミングだけで買ってしまった柔軟剤で、実はまだ香りがしっくりきていない。こういうところが本当に自分は情けないと思うのだけど、好きになるか、いっそのこと早く使い切ってしまおうとする自分はそんなに嫌いではないのだ。ああ、はやく洗いたい。