カンカン鳴る音

踏切の音が聞こえる日常、雑記。

episode 69

思い出は何に支配されているのだろう。たとえばとある音楽を聴いて、その音楽をよく聞いていた時期のことを思い出す、といったことはよくある。ある場所に行けば、以前ともに訪れた相手を思い出す。
行きつけの店も特にない、むしろ作らない主義の私だが、だし茶漬けの「えん」という店には妙な思い入れがある。初めて訪れたのは高校生のときで、部活の大会で遠征中に昼ご飯を食べたのが始まりだった。当時付き合っていた恋人と、「何食べたい?」「米」というような会話をした気がする。その人はそこそこ大事な人だったので私にとって「えん」という店は思い出深い店になった。次に訪れたのは進学で上京してから。既に先の恋人とはお別れしていて、別の人とお付き合いしていた。私は割と「名前を付けて保存」派なので、胸につっかかる思い出は強制的に上書きしていかないとしんどくなる。ということで、わざわざ「えん」に連れていった。行きつけの店は作らないけれど、一度行ったことのある店に繰り返し通う癖のある(単に楽だから)私は、その後何回かその恋人と「えん」を訪れた。時は流れその恋人ともお別れした私は、今現在の新しい職場の近くで「えん」を見つけた。頭をよぎるのは私が去ってきた人たち。2人とも恨まれても文句は言えない最後だったので、思い出すといつも胸の奥がきゅっとなる。きゅっとしたので、今日は一人で「えん」に入った。また思い出は書き換えられるのだろうか。一体これから何回ぐらいこの思いを感じるのだろう。また「えん」に行かざるをえないときが来るのだろうか。なんなんだ、「えん」とは。ただのだし茶漬けの店なのに。