カンカン鳴る音

踏切の音が聞こえる日常、雑記。

episode 85

GW4日目の今日は一日中本を読んでいた。ずっとしたいしたいと言い続けていながら、きちんと読書をすることはとても珍しくて、いつもなにかと理由をつけて逃げていた部分である。昨日の夕方に近所の良い古本屋で、今興味のある分野の本をいくつか買った。他にも頼んでいる本が休み明けに届くということもあって、この休み中にある程度のところまで読み終えておこうと行動したわけだ。まずはこういう行動を実践できただけで自分を褒めたいぐらいには自分に甘いし期待をしていなかった。正直これまでも何度も「学びたい期」が訪れては中途半端に去っていき、を繰り返してきた。それに疲れて最終的には「何も極めなくて良い」という考えにたどり着くから質が悪い。こういう人間は私含め必ず自分のことを「0か100かの人間」と称する。裏には完璧主義の自分をどこか誇らしげに思っているのだと分析しているが、これは邪推しすぎだろうか。
話が逸れた。とにかく今の私は「宗教」にとても興味を持っていて、その中でも「仏教」をきちんと知りたいと思っている。ここでいうきちんととは、少なくとも、知識の一環としてとりあえず知っておくという状態よりは上にいきたい、という程度のレベル感である。何かを学ぶということは、なかなかにしんどい。今日読んだことだって、いつ自分の中に根付くかわからない。明日になれば忘れているかもしれないし、今こうしている間にも抜けていくものなんだろう。つくづく自分がいかに日々頭を使って生きていないかが分かって切なくなる。でも「どうすれば苦労せずマスターできるだろうか」と考えることが、少なくとも自分にとっては何の意味もないことぐらいはわかってきたつもりだ。自称0か100か人間は、たった一度の勉強で100にならないとやる価値を見出せない気がする。たとえば27とか中途半端な数字になるくらいなら0の方が良いのだとさえ考えていた、これまでの私は。そんなふざけた話はあるはずがない。少なくともなにかを習得するなら必ず中途半端な時期があるし、そもそも突き詰めて考えると100なんて簡単にたどり着けるものではないことに気付く。要するに、それに向き合うのが怖いから逃げてきただけなんだろうな。こつこつと積み上げていく忍耐、中途半端な状態を耐えられる勇気を持って、生きていきたい。