カンカン鳴る音

踏切の音が聞こえる日常、雑記。

episode 86

仏教を勉強(この言い方にも違和感があるが)し始めて半月ほどしか経っていないが、時間の流れが妙に遅く感じる。何年かぶりの勉強欲で、とにかく知識を集めて集めてひたすら集めるのが第一段階だとすれば、今は第二段階に入ってきた気がする。集めた知識が自分の引き出しに入って、少しつつくとひょっこり出てくるような感じで、これまた楽しくなってくる時期である。第一段階ではまだ人の知識を間借りしているような感覚だったものが、真実かどうかは別にして『自分のもの』として理解できていると実感できるのはたまらなく気持ち良い。学ぶことの醍醐味ってこういうところだなぁと思いながら、自分と仏教の相性の良さにもまた喜びを感じる。
学んだからには実践したいもので、かたちとして『瞑想』に取り組んでいる。まだ座ったまま瞑想に入ることができず、すぐに挫けてしまいそうになるのだが、とりあえず横になりながらそれらしい状態に入るのは慣れてきた。嘘みたいな話だけど、きちんと身体を休めているように感じる。目覚めの悪さが多少改善された。引き換えに、やたらとお腹が空くようにもなった。それなりに頭を使うようになったのだとすれば、これまでいかに使っていなかったのだろうと思うが……。
一歩引いてものごとをよく考えることを意識している。なるべく自分の感情の揺れを認識しないようにしているのだけど、これが本当に難しい。「怒り」の感情を抑え込むと「悲しさ」の感情が出てくる。あるいは虚無感。それはなんというか、うまく言葉にできないのだけど、ただただかなしくなるのだ。すべてを傍観して抑えるということに、どうしようもなく虚しさを感じてしまう。自分がつらいということは、それは「中道」ではないのかもしれない。でも、今のところ自分の感情の中で一番嫌いな部分がそこであるから、まずはそこを削りたいのである。しかしどうにも極端になってしまいがちで、余計につらくなる。いや、つらいときもある。もしかすると今までの人生で感じたことのない種類の感情だから、戸惑っているだけなのかもしれない。うん、きっとそうだ。「諸行無常」なんて言葉はあまり気にしたことがなくて、ここにきて満を持して私の人生に出てきた。このご縁を大切に、また明日も生きていく。