カンカン鳴る音

踏切の音が聞こえる日常、雑記。

episode 90

最近そこそこ調子が良い。いろんなことに対して人から褒められることが多い気がしている。自分の中でも、先日(といっても大分前だが)書いたタスク管理が割と上手くいっていて、毎日をこなすことが楽しくなってきているところだ。おそらく『ハイ』な状態になっていて、だから先週のある日は人知れず体調を崩して早退し寝ていたりした(もちろん上司に報告している)。
予定が未定であることが精神的に不安にさせるだけでなく物事に取り掛かるスピードやその後の効率性にも影響を与えるということがわかったので、なるべく計画を立てて取り組むことにしている。自分の中で全体像を把握し、こまかな到達点の目安を立てて取り組むことが一番効率的なのだとわかってから、仕事がとても楽になった。しかし、どこかでそわそわした気持ちを抱えているのもまた事実である。自分が立てた計画を遂行できると「まだ甘いのではないか」「足りないのではないか」と考えてしまう自分もいる。それに引き摺られないように計画を立てているわけだし、誰にも何かを言われているわけでもないのに。
そわそわする原因は仕事のやり方だけでなく、質に関してもあると思う。いま自分がつくるものが評価されているのはビギナーズラックであるという自覚。未熟な感性が斬新に写っているだけなのだろうという自己認識。それが自分をやんわりと苦しめている。いまの武器は3年後は通じない。いま持っている感性が数年後も武器として使える保障はないのだ。なにかをつくる仕事に正解はなくて、きっと変わり続けるものなのだろうと頭で理解はしているのだけど、一方で予定が未定を嫌うつくりをしている私の脳は、その不安定さが時折ひどく恐くなるのだ。
どんな不安を抱えていようと、明日はやってくる。ハタから見れば「うまくいっている人生」を演じきることに迷いは無いが、何かのバランスを崩すのがすごく怖いと思ってしまう。やはり私はどこかでセーブをかけながら生きているのだろう。苦しみを自覚していることに無自覚であることが、私を『私』として見せていく術なのだと思う。