カンカン鳴る音

踏切の音が聞こえる日常、雑記。

episode 103

昔に読んだ啓発系の本を読み直すブームがきている。思うのは、こういう類の本は必要なときにしか効果を発しないのではないかということ。どちらの本も、初めて読んだときは正直期待はずれだった。でも、いま改めて読んでみて、自分でも驚くほどすんなり納得できるところが多かったのだ。考えてみれば当たり前のことで、何事も経験がないことを想像するのとは難しいのだから、経験が浅い過去の自分には刺さらなくとも、時が流れればというただそれだけの話なのだけど、ものすごく雑に、大ざっぱにまとめると、時が流れることを受け入れようという気持ちになった。自分で自分を縛るのはやめて、変わることを恐れないようにしたいと思った。自分の価値を誰かに認めてほしいという気持ちは全方位に愛想を振りまいて、ともすれば言いなりになってしまう。「こう思われてるからこうしよう」と考える次元があまりにくだらないことだと、それだけで自分の可能性を狭めているのではないかと思った。
あの頃馬鹿にしていた啓発本に影響を受ける自分を笑わない。

episode 101

2014年2月に読んだ本を再読した。

当時は入社を控えた大学生だった。学生の頃から定期的にどうしようもなく無気力になる癖を持っていた私は、レビューもそこそこ良いこの本を、藁にもすがる気持ちで読んだのを覚えている。
しかしまあ、これがどうにも、まったくピンとこなかった。
そういうわけで私の本棚に眠っていたのであるが、ふと思い出して改めて読み直してみた。実を言うと「あの頃はそもそも働く経験をしていなかったわけで、今ならその意味がわかるかもしれない」という期待をしていた。そして読んでみたのだが、まあわかるわかる。結局、前回読んだときの自分はまだ未熟で、自分のことをよくわかっていなかっただけなのだ。実際に働き始めて1年と半年ほど。微々たる期間ではあるものの、さまざまな性質の異なる体験をさせてもらって、自分にプレッシャーをかけたこともやはりあったのだと、内容に共感できる自分が少し大きく思えた。この本でとにかく書かれている「ムリ・ムダ・ムラ」をいかにテクニカルになくしていくかという方法論は、まさに今の私に必要なもので、逆にいえばこれさえ身につけられれば今の生活はより輝くだろうということが実感を持って感じられるのだ。こんな幸せで都合の良いことはそうそうない。私はネガティブを拗らせてポジティブになっているような人間なので、割と本気でそう思っている。
ということでさっそく本にも書かれていたが「1日3つの良いこと、1つの悪いことを思い出す」という行為をしてみようと思う。順番は大事だと思うので、悪いことから書いておこう。
  • 烏龍茶の茶っ葉をいれすぎた(悪)
  • とても感謝された(良)
  • 少し無理した今日のタスクが割と消化できた(良)
  • 筆が進んだ(良)

episode 100

シルバーウィークが終わった。ゆったりした時間とほんの少しの奮発した食事とで充実した休息期間にすることができた。この日記もようやく3桁になったので、episode 1からすべての記事を読み返してみた。2014年の12月頭から書き始めて、「ああこの頃はこういうことがあったなぁ」「こんなこと考えたこともあったかなぁ」などと、発見が多くて楽しかった。興味深かったのは、12月から2月くらいまではやたら体調が悪そうだったのに対して、最近は「頭が痛い」ということが極端に少なくなっていたことだ。書いている日数の違いもあるが、実はその間整体に通い始めたり、なにかと生活環境が変わったり、意識的に変えていたり、思い当たる節はたくさんあったので、不思議に思うことはなかった。なんとなく最近調子が良いかも、と思っていたことの証拠がつかめたような、そんな気持ちになっている。それにしても全体を通して「やはり成長しているのだろうなぁ」と思えた。仕事とそのストレスを発散する趣味とが我ながらバランス良く楽しめているようだ。12月から今までの期間は仕事面でたくさんの変化があったので、なにか変わったはずだと思いつつも、確証が得られずにいた。その期間の自分を少しでも切り取って言葉にしていたというのは、今後もなにか役に立つかもしれない。マイペースに続けているこの日記だが、やはり記録をつけることは大切だなぁなどとしみじみ思った。

episode 99

ついにこのブログも3桁台に突入する。ここ数回のブログを改めて読んでみようかとも思ったのだが、今の気持ちに影響を与えてしまいそうなので見送ることにした。それをするなら記念すべき次回の更新時に委ねてみようと思う。
さて、エニアグラム診断によるとタイプ4に該当するらしい私は、なによりも自分の居場所がはっきりしないことにストレスを感じる。自分の役割を与えられ、他人に認められ、評価をもらうときに心が落ち着き力を発揮できるようになるのだと自負している。考えてみればこれまでの約3ヶ月間は、そんな私にとって地獄のような宙ぶらりんを味わわされ、つらい気持ちになるのも当然だった。自分が何を求められているのかわからず、周りに期待だけをかけられるのは喜ばしいことだと思いながらも素直に受け止めきれない自分がいた。自分だけが都合よく扱われているように感じ、やけになってしまうのはタイプ4の特徴にも確かに当てはまる。
そんな期間を越え、ようやく私にも落ち着きが訪れようとしている。正確には自分が納得した道への一歩を踏み出せたというところだろうが。もう我慢ばかりはしたくないし、馬鹿にされたくもない。そもそも、そんな権利のある人はそうそういないという自分への自信も出てきた。結局、自分の可能性を狭めるのは自分なのかと思う。世間的に今の自分くらいの年齢で、夢と現実の折り合いをつけるらしい。さあ、私はこれからどうするのだろう? そんなことは、私にしか決められない。

episode 98

驚くほどに忙しい。理由はわかっていて、それが終わるのもわかっているが、ここ2週間は残業続きでしんどく、ついに今日は糸が切れそうになった。今も思い出すとどす黒い感情に支配されそうになるが、「自分以外の相手に問題を求めない」そう言い聞かせて平常心を保っている。ときには諦めも大事で、ほとんど諦めが肝心なんだ。私に変えられないことは変えようとしない。私が変われば、誰かが見てくれるはずだ。今回の事情に関して、私に悪いところはないはずだし、見えない敵と戦っても仕方ない。私は私の役割を全うする。嫌になったら、それこそやめてしまえばいいだけだ。よし。明日まで頑張ろう。そうやって、生きていこう。

episode 97

言葉は言霊であるとつくづく思う。「楽しい」といえば「楽しくなる」し、「つまらない」といえば「つまらなくなる」。この不思議なところは自分で言うだけでなく、他人から言われてもそうなってしまうところだ。「貴方は優しい」といわれると「私は優しい」となるし、「貴方は淋しい」といわれると「私は淋しい」となってしまうのだ。一生懸命見ないふりをして、楽しみを探そうとして、ほんの少しずつ認められて、それで「勿体ない」といわれると、もうどうしたものかと、明るくない方向に視界が開ける。私は、私を認められたい。